― この春、社会へ羽ばたく君 ― 先人のお言葉の詰め合わせ

小さな会社のバックオフィス

本日、とある会社の入社式に出席しました。

自戒の念も込めて、思う事を書き連ねます。
割と簡単な心掛けですが、小さな積み重ねがやがては大きな差となります。

頭一つ抜け出す方法

この春社会へ羽ばたいた同級生達の中で、頭一つ抜け出すには、どうしたら良いでしょうか?
方法は一つではないと思いますが、非常にシンプル且つ確実だと確信できる方法があります。

落ち着いた頃にゆっくりと周りを見渡してみて下さい。
よく見ると、全力で仕事をしている人間が、ざっと見て半分もいないことに気づきます。
どうやら、人間というのは何も考えないでいるとそのように流れるように作られています。

その中で、与えられた目の前の仕事がつまらなく思えても、全力で、誠実にこれに当たって下さい。
それが周囲の信頼を得ることにつながります。

信頼を得るとは ― 知的不誠実という悪癖

仕事をする上では、法令遵守さえすれば、何をしても認められるわけではありません。
そこから一歩進んで、顧客から「この人は自分を裏切らない」という信頼を得る必要があります。

「真実ではないと知っていながら、それを相手が信じるのを許すこと」
これを「知的不誠実」と呼びます。

「知的不誠実」はロリー・バーデンの『自分を変える1つの習慣』の中に「言葉の力を弱める落とし穴」の1つとして記されています。
これは通常、法的には何ら問題ありません。

。。。

ただし、倫理的な意味ではなく、自分自身の利益のために、この「知的不誠実」を肯定してはいけません。

松下幸之助翁は

給料をもらったなら、その仕事における立派なプロ。
プロである以上、甘えは許されない。
自立心を持ち、厳しく自己練磨することが求められる。
プロとしての自覚があるかどうか、つねに問うように心がけたい。

と説いています。

職種を問わず、対価を得て仕事をする以上はプロです。

プロたるものは、医者、弁護士、マネージャーのいずれであろうと、顧客に対して、必ずよい結果をもたらすと約束することはできない。
最善を尽くすことしかできない。
しかし、知りながら害をなすことはしないとの約束はしなければならない。
顧客となるものが、プロたるものは知りながら害をなすことはないと信じられなければならない。
これを信じられなければ何も信じられない。

これはドラッカーの言葉です。
(マネジメントのエッセンシャル版より引用)

「知的不誠実」と「知りながら害をなす」は、ほぼ同義と思います。

顧客が信じるに足りない人物は、本来対価を得て仕事をする資格がありません。

でありながら、これが出来ている人は半分も居ないのが現実です。

だからこそ、その気になれば、簡単に頭一つ抜け出すことができるのです。

人は、簡単に悪に染まった自分を正当化します

人は自分に優しいので、悪いことをしても自分を簡単に正当化し、自分は正直者だと信じて生きていけます。
自己防衛の本能でしょうが、誠実であろうとするなら、そういう自分自身に秘められた危険性を理解しておく必要があります。

ダン・ケネディの著書がそれを教えてくれます。

あなたは客として食料品店を訪れている。
車に戻ったところでレジ係が8ドル多くおつりをくれたことに気づいた。
あなたは8ドルを返しに店に戻るだろうか?
この場合、ほとんどの人が返しに行くだろう。

あなたはぐずり始めた6歳の双子の息子と一緒に食料品店を訪れている。
車は、混雑する店から離れた場所に止めた。
車に戻り、そこでレジ係が8ドル多くおつりをくれたことに気づいた。
あなたは8ドルを返しに店に戻るだろうか?

あなたはぐずり始めた6歳の双子の息子と一緒に食料品店を訪れている。
車は、混雑する店から離れた場所に止めてある。
雨が降ってきた。
カートから持ち上げたとき、レジ袋の一つが破れてしまい、中の商品がいくつか水たまりに落ちてしまった。
しかもレジ係は感じが悪かった。
そのうえ、家に帰る時間がすでに30分遅れていて、この分では、双子の息子の誕生日の準備も遅くなってしまう。
ようやく車に戻り、そこでレジ係が8ドル多くおつりをくれたことに気づいた。
あなたは8ドルを返しに店に戻るだろうか?

いつの時点であなたはこう考え始めるだろう?

「おい、待ってくれよ。
つりを確認するのはレジ係の仕事だろ?
オレの仕事じゃないぞ。
それに、たかが8ドルじゃないか。
オレはいつもあの店で買い物をしている、いわばお得意様だ。
このぐらいは大目に見てもらえるさ」

あなたはご自分を正直で道徳的で倫理観のある人間だと考えているに違いない。
にもかかわらず、先の状況であなたはあっさりと金を盗み、相変わらず自分を正直で道徳的で倫理観のある人間だと考え続けながら、ある意味、自分を正当化
―私がそれを指摘するまで―
している。

それがこの問題の重要な点だ。

人というのは誰しも、鏡に映った自分の姿を見て、嘘つきでずるがしこいコソ泥とは呼ばないものだ。
そして、明らかによくないあらゆる行為を正当化する術を見つけ出すのだ。

ダン・S・ケネディ『世界一シビアな「社長力」養成講座』p127-128

自分を悪人だと思って生きていくのは、普通は耐えられません。
それで自分を守るために、無意識におかしな理屈を作り上げてしまうのですが、他人はともかく、自分自身を騙し続けるのは、、、徐々に心が不安や不満で満たされてゆく原因となります。

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